24歳で飛行機初体験。 所要時間は約8時間、シンガポールと日本との時差は1時間。
2ヶ月前にこれまた初めて作ったパスポートを片手に 日本を上空から眺めながら色々と考え始めました。
まずは誰でも思う事、言葉の問題、、、 当時皆が必ず海外へ持っていくガイドブック「地球の歩き方」を読むと、共用語は英語とありました。 しかし彼らはシンガポール独特の英語 Singlish(シングリシュ)を主に日常会話で使うとも。 私には他にも、イタリア料理のメニューも理解できる最低限のイタリア語も覚えなくてはいけませんでした。 今まで外国の方と調理場で仕事をしたことがなかったので、どういう風にしてコミュニケーションをとるかなどいろいろな思いが駆け巡っていました。
初めてのイタリア料理、、その頃は日本で空前のイタリア料理ブーム、、そもそもなんでイタリア料理の経験がない私に声がかかったのか? 大丈夫かな? と私は自分の心に囁きましたが「まあ なんとかなるか」と元々単純な性格に救われました。 でも「やっぱり無理でしたので帰りまっさ~」と自転車で友達の家に行って文句を言える距離ではありません。
東南アジアで最も重要なハブ空港チャンギ国際空港に着くと、空気が違う、、空気が重い、、と第一に感じました。 そんなに私は世界を旅していませんが、それぞれの国に独特な匂いがあると思いませんか? そして空港内に西欧人の多いこと、、、
うろうろしながらも迎えに来て頂いていた荒木シェフとも無事に出会え、タクシーでこれから暮らすアパートへ向かいました。 空港からヤシの木が生え並ぶ高速に乗り20分くらいでした。
荒木シェフは神戸の老舗イタリアレストランで修行され、80年代まだ日本人がイタリアで働くのが珍しい頃、北イタリアを中心に修行された方です。 バリバリやん! 私はよし!頑張るぞーと胸を躍らせるのでした。 アパートに着くと荒木シェフの奥さんとまだ2歳にならない可愛い娘さんに出迎えていただきました。
情けないながらまだ日本を出て8、9時間しか経ってないのに、日本人の方と喋るとホッとしたのを覚えています。 私たちは大きなアパートをシェアする形で、その日から共同生活が始まりました。 ところが「あれっ私の部屋がない、、、、」 3LDKの部屋が全部使用中。 協議の結果リビングルームを家具で仕切って、ベッドを運んで、はい! 部屋完成!
私は寒いのは耐え難いですが、赤道直下のシンガポールは年中暖かいので問題はなかったです。 「お腹がすいたでしょ」と荒木シェフに言われ私たちは近くの屋台で初めてシンガポールの国民食のひとつであるホッケンミーをご馳走してもらいました。 美味しい! それからアパートに帰り、これからの仕事の内容やシンガポールの生活習慣を教えていただき、明日からレストランで仕事です。 さあ頑張るぞ! 続く。。。